日々の学び : 橋本陽介『物語論 基礎と応用』


本サイトでは”現役スポーツアナリスト”の「日々の学び」をブログとして残していきます。

高校時代の国語の先生が書かれた本がこの『物語論 基礎と応用』。「物語論」という学問分野がある。他にも『ナラトロジー入門』という本があるのだが、そちらはかなり分厚いかつやや難しめなのでこちらをお勧めする。

「物語論」と「登場人物の心情」主義

私は学生時代塾講師をしていて、英語・国語を担当していた。国語の中で一番教えるのが難しい分野、それが「登場人物(または筆者)の心情を答える問題」であった。ところが、そもそもなぜ「起きたこと」と「心情」を答える問題ばかりが問われるのか、というところから本書はスタートした。

映画、音楽、物語、すべての文学を通じて私たちは、なんとなく「面白い」「悲しい」といった感情を抱く。それはなぜか。すべての文学には設計図が存在しているからである。

小説や漫画、映画など「物語」のある作品に共通しているの設計図こそが「物語論」だ。僕らがたまに抱く「ありきたりだった」という感想はここに起因していて、作品群を通じて無意識に物語のパターンを認識していたことになる。

そもそも物語論は昔話の構造を分析するといったところから学問が大成していった背景があります。よくある
①昔々に主人公がいる
②なにかルールを課せられる
③主人公はそれを破り危機に陥る
④魔法といった超越的な力に助けられる

といったようなものである。よくある童謡からハリーポッターまでほとんどのファンタジーはこの物語構造を持っている。ざっくり言うと、これに加えて物語の「語り手」や「物語の時間」といったものによって「物語論」は構成されている。

こと、心情の変化という問題に対する答えとして「物語論」はそこまで認知されていないが、非常に面白い学問で物語論関係の新書はつい買ってしまう。

「Sevens Heaven」にもちょこちょこ出てきたが、本書で紹介される「自由間接話法」は学校では習えない。欧米文学を和訳で読んでいても何が評価されているのかわからないが、「意識の流れ」と呼ばれる文学表現などについても本書を通じて学ぶことができる。

物語論とイデオロギー

上のニュースは「物語」ではないものの最近気になったニュースだ。メキシコを主とした途上国を描くときに画面が黄色になるという話。

つまるところ共産主義国家が映画や文学といった物語をプロバガンダに使っていたのか、といいう点は明白で、作者が物語を通して、読み手側の考えに作用することができるからである。

つまり、たとえ同じ題材だとしても物語の構造を変えることで、読み手へのメッセージを変えることができてしまう。そのためにも物語論、特に物語の構造パターンを認識しておくことは、過剰な受け取り方をしないこと、より物語自体を楽しむために必要な教養と思われる。

ごくごく当たり前な話ではあるのですが、本書を読むとそれらについて深く知ることができるのでオススメです。

物語論とは点と線

つまるところ事実と物語は常に異なる。あらすじが事実に基づいていたとしてもそれが物語と一致しているとは限らない。多くの作品は物語の文法、構造に従っています。大衆作品であればあるほどだ。

これらは人生観にも通づるものを感じていて、例えば芸人の売れない下積み時代のエピソードをよく聞く。しかし、それは売れた後に後から物語として捉えただけであって、存在してるのは「売れたこと」と「売れる前の下積み時代」という連続した事実があっただけでそこには物語はないはずだ。

つまるところ物語なんてものは、事実として存在しているわけではなく、人間の観念によるものだと思う。とすると、常に自分の人生を振り返った時には、人生それ自体はあくまでバイアスのかかった解釈だけが存在していて、それは自分の思い込みでどうにでも変えれるような気がしてくる。

水が半分入ったコップを「もう半分」か「まだ半分」と捉えるかといったとこだろうか。点はあくまでも点であり、それを線に見立てるのは人間が勝手に想像していることなのかもしれない。それでも線に見立てずにはいられないものです。

感想

私たちはつねに物語を求めている。

Creepy Nuts × 菅田将暉の新曲「サントラ」にも「物語」という言葉が出てきた。私たちは物語をつねに欲するし、時にそれは後付け的なものになりがちなのかもしれない。ポジティブに生きたいものだ。

「物語」に関連する本として近いうちに「ストーリーとしての競争戦略」と「物語は人生を救うのか」についても紹介します。

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