攻殻機動隊しかり、どこまでが人でどこからがアンドロイドなのかっていう話は昔からある。この論争の切り口と終わり方が優しくて美しい。アンドロイドのクララがいつまでも一番純粋な「子供」であること、太陽という宗教に対して敬虔であること。どこまでも優しい「信頼できない語り手」であった。もっとも、カズオ・イシグロを万人に勧めやすいのは情景描写が綺麗で読みやすいところ。英語で読むべきなのかもしれないが…
特別な何かはあります。ただ、それはジョジーの中ではなく、ジョジーを愛する人々の中にありました。
カズオ・イシグロ『クララとお日さま』
この手の機械人形の話になると、「独身者機械」とデュシャンを思い出す。数年前遠征中のオーストラリアで美術館行ったらたまたまデュシャンの特集が組まれていて、なぜか『大鏡』の写真だけ撮り忘れて後ほど萎えた記憶が蘇る。東大美術館に『大鏡』見に行きたいな。
余談だが、遠征の時は行く先々でなるべく地元の美術館に行こうとはしてる。美術史とかは何もわからないが、ご当地アートとか見れるのは意外に楽しい。現代アボリジニアートはオーストラリアでしか見れなかったものだった気がする。何より仕事=ラグビーから頭を切り離せるところと、自分の確証バイアスと越えたインプットをするためである。自分で下調べをしてからどこかへいくと、セレンディピティというか偶然的な出会い・インプットが減る。
こんな風に思想や文芸・美術作品に連想が続く本ほど面白いのだと思うし、連想を続けるためにも日々知識のインップトが必要なんだろうと『クララとお日様』を読んで感じたのであった。