前作が『おいしい資本主義』であるように、最終的に「資本主義」とは何か、という話と、『いのちの食べ方』に繋がるような、「生きる」とは?「食べる」とは?という二つの軸で話が進む。
すでに何匹かを自らの手で殺めたいまとなっては、吐き気に襲われることもない。吐き気は傍観者の嫌悪に胃だけが反応するものである。殺害の全的な当事者となったいまは、もはや遠くに捨てさったナイーブな感覚だ。
世界は、見ようとする者にしか、見えてこない。これは、まったくライター稼業と同じなのだ。人は、ものごとを、世界を、まったく自由に、偏見なく、客観的に眺めることなどできない。むしろ逆に世界を見ることができるのは、世界を理解しようとする前提、立場、もっと言えば偏見があるからこそなのだ。
〜世界の見方の、さまざまなバリエーションを持つライターにしか、見えないリアルはある。多様で複雑な世界が見えるライターとは、多様で複雑な世界観を、より多く備えている者のことだ。単純な〝正義〟で世界を切り取る書き手は、自らの世界観の内部に閉じこもる。
どちらも教科書というより、実践知的・身体的な話が多く非常に面白く、文書がめちゃくちゃ綺麗でカッコ良い。ハードボイルド農業漁師。