日々の学び:千葉雅也・國分功一郎『言語が消滅する前に』

『勉強の哲学』『中動態の世界』の解説書と呼んで良いと思う。この二つの補足説明もとても面白かったのだが、言語に関する話に面白いところがあったので引用。

言葉はそれ自体としていじくり回されるものでもあって、たとえば、それは詩になったりするわけですよ。詩というのは自己目的的で、コミュニケーションのためにあるものじゃない。〜すべてがコミュニケーションに支配されて、全ての手段が交換可能、変換可能になっている。

文学や芸術は、言語を道具的に直接使うのではなく、ゲントを言語として取扱います。〜工業製品のカップではなくて、名も知らない職人が作ったカップを使い。それを愛でながら生きる。日常生活を飾りながら生きる。

この手の言語によって世界を認識するとか、言語はコミュニケーションのためには存在していないとかいう概念は言語学の本でよく出てくる。映画『メッセージ』はその辺りをエンタメとして描いたという意味でかなりの秀作だと思う。

余談ではあるが、なぜ『暇と退屈の倫理学』『中動態の世界』が授業っぽいというか探索的な書かれ方をされているかが対談の節々に出ていて、モノカキとしての目線の話を垣間読めるのも個人的には楽しかった。

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