日々の学び:東畑開人『なんでも見つかる夜に、心だけが見つからない』

『心はどこへ消えた?』が非常によく、気づけば新刊が出ていたので拝読。カウンセリングの実話をフィクションに昇華して「こころ」に迫る。単に心理学的なことを学びたいというより、見えないはずの「こころ」が一瞬見えるような感覚が心地よくて読んでしまう。

「補助線と処方箋」、「馬とジョッキー」など様々な例え(と学術的な解釈)を用いて話を進めてくれる。普段抱えてる心のモヤモヤが少しだけスッキリもする。特に心に残ったものをいくつか引用。

この二十年、人々を守ってくれるはずの社会の仕組みはガラガラと壊れていきました。堅固だったはずの社会がドロドロと溶けて、まるで荒ぶる海のように不安定な場所になりました。そういう社会を、僕らは今にも壊れそうな小舟一艘で航海しなくてはならない。 小舟化する社会。そこでは、遭難しようが、沈没しようが、自己責任。確かだと思っていたつながりも次々と切れていく。だから、小舟はひとりでサバイブしなくてはならぬ。

シェアのつながりは、自由に参加できて、自由に抜けられるから、いい。自由な小舟が自由に寄り集まるとはそういうことです。 言い換えるなら、シェアのつながりでは、それぞれの小舟は最終的に孤独を引き受ける必要があります。自分は自分、他人は他人。その一線を保ちながら、人々はつながっている。それが良い。だけど、さみしくもある。

僕らの人生を真っ二つにすると、「働くこと」と「愛すること」が現れる。 実はこれ、深層心理学者フロイトの言葉です。「大人にできなくてはならないものとは何か」というようなことを問われたときに、フロイトは「働くことと愛すること」と答えました。
〜なんらかの目的があって、それを達成するために「する」。これが「働くこと」。 これに対して、「愛すること」の目的は「愛すること」そのものにあります。

消化不良を起こしていた白と黒を、悲しみが灰色へと溶かしてくれたのです。 そういうとき、世界は複雑さを取り戻します。現実は本当のところ、灰色です。白と黒が入り混じった曖昧な色彩こそが世界の本格的なありようだと思うのです。 だから、悲しむことができたとき、僕らの心は以前よりも少しだけ、広く、深くなる。心に複雑なものを置いておけるだけのスペースができる。 これを僕は「ネガティブな幸せ」と呼びたい。

複雑系の話しかり、幸せに生きるためには複雑な世界を複雑なまま生きるしかない、らしい。白黒はっきりつけたいところではあるが…

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